2013年1月12日土曜日

融点に達する瞬間を待っている

寂しい、も
せつない、も
雪のようであると、思うのです。

抗うことも出来ないのに
降りしきって、
積もり、重なっていく。

けれど、いつしか、
その降り積もった哀しみは、
解けてゆく。


誰かの、
こころに、
体温に、
声に、
愛に、
ふれた瞬間。


ゆえに、人はいつも春を、待っている。




また綺麗事、御託を並べた幼稚な発言かと。もしかしたら誰かにそう思われているかもしれないけれど。
幼い頃から、綺麗じゃない世界、歪んだ世界、暗い陰りの部分を見せつけられて、その渦中に放り込まれて育ったからこそ。
どいつもこいつも愛だの恋だの希望だの綺麗事ばっか抜かしてんじゃねえよ、なめんな、そう思って生きた時期が長くあるからこそ。

巡りめぐって、
自分と、
私を取り巻く日常と、
向き合ってなお、そう思うのです。

ひとは、愛を背負って、
生きて、
活きて、ゆくのだと。




すべての人に好かれようとか
嫌われないように生きていこうとか
思ったりするけれど、それはやっぱ無理が生じることで。

人間だもの、誰にでも、
合わない人、わかり合えない人、いると思う。それは仕方の無いことで。

けれど、
「この人には、自分のことをちゃんと知ってほしい、認めてほしい」
って思う相手には、知ってもらう努力をしなくちゃならんのだなーと
とても、思います。

ひとりの人と向き合って、自分を知ってもらう、努力。
そして、相手のことも知ろうとする、努力。



それが実現できたら、
寂しさもせつなさも、解けてゆく日は、きっと来るんじゃないかと。
そう、思ったりする。



まだまだ寒い日はつづいていくけれど、
いつか、自分のこころの奥にある凍てついた部分が解けることを。
自分の哀しみを解かしてくれた人が持っている傷を、癒してあげられるようになることを。

そんな明日を期待して、生きてゆく。

融点に達する瞬間を、待っている。

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